平成最後の日。気ままに多田健次の平成自分史

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今日は平成最後の日(平成31年4月30日)ということで、自分がどう平成を過ごしてきたのか。平成時代を自由気ままに振り返ってみようと思います。

現在47歳なので、おおよそ16歳あたりで平成元年ということで高校生から振り返ってみます!

高校生

私にとって高校はすごく大きな転機になりました。

くる日もくる日も「水球」。ほんとしんどかったですね。泣きながら「退部させてください」と言いながらも、なぜか3年間やり通し全国大会に出場。気の合う仲間と出会えたことが最高の宝ものになりました。

高校3年のときに何がキッカケか思い出せないのですが「前向きに明るく生きよう」と誓ってから、すっごいモテるようになったんですよね(笑)彼女もできましたし^^

  • 仲間の重要性
  • 誤魔化しながらも続けることの大切さ(手を抜く大事さも学んだ)
  • 前向きに明るく振る舞うといいことがあると経験

大学生&専門学校

なぜか、講義をちゃんと受けようと思わなかった。おそらく、高校部活動のせいでまったく遊べなかったので、大学は遊ぶために行くと考えていたような。

彼女とデート、バイト、パチンコ、競馬など、典型的なダメダメ大学生活でしたね。そんな中でも、うまくやり過ごす感覚は身についていて、単位もしっかり取得。特待生として奨学金ももらえました。

2回生から簿記の勉強

遊んでばかりいたけど、心の中では将来どうする? 3流大学から人生を挽回するためには、大型資格を取得するしかないって考えていました。

幼少期から珠算をやっていたこともあり「会計士になって独立する!」といつしか真剣に考えるようになり、2回生から簿記の勉強をスタート。3回生から大原会計士講座にWスクールで通うことに。

会計士講座で落ちこぼれ

3回生、4回生とWスクールで勉強は頑張っていたけど、めちゃくちゃ甘かったですね。勉強しないといけないのはわかっていても、すぐサボる。要領よく結果をだせるほど甘くなく落ちこぼれ。

でも諦めたくなかったし、親と相談して就職浪人の道を選択。今になって思うと、親が応援してくれたことに本当に感謝しかありませんね。

就職浪人時代

朝から晩まで勉強する日が多かったですね。ただ、やっぱり勉強が楽しくなかったし、雑念ばかりで。成績は上位に入れるようになったけど、合格イメージが持てないままでした。

やらないといけないとわかっていてもできない苦しみですね。

お金もなかったし、勉強仲間が新聞配達をしながらやっていたこともあり自分も1年弱やりました。

でも、結局4年勉強したけど合格できず断念。

ただ、ツイていたのは友人が会計士の講師をやっていて、大原に就職することを誘ってくれたこと。原価計算専属で講師をすることになりました。

  • 合格するための勉強ができていなかった(間違った勉強を続けても結果はついてこない)
  • すぐサボろうとする弱い心
  • 親が文句も言わずに影で応援を続けてくれて感謝
  • 仲間に恵まれた(講師に誘ってくれた)

大原講師時代

働きだしてすぐに結婚(直感、自然な流れ)。

3年めまで生徒から認めてもらうためにもそれなりに頑張っていた。ただ、ここでも要領よくやりこなそうという気持ちはあった。それでも生徒からそれなりの評価はもらえた。

再度受験へ

どうしても会計士受験をあきらめきれず、再受験を決意。

1年間これまでにないくらいの努力。47年の人生の中で一番頑張ったと言いきれる。

けど、合格できず。

そのあと、3年間ほどほどに頑張ったが不合格、完全撤退。

この頃体調不良に・・・

大きな転機

32,3歳ごろ、体調不良で日々仕事するのがやっとでした。心療内科にも通いましたがなかなか回復せず。まだ、会社に行けるだけマシでしたが。

(この期間の話をするとかなり長くなるので割愛)

この体調不良が私にとっては大きな転機になりました。

6ヶ月間もがき苦しんでいたのを救ってくれたのが本とブログです。

自己啓発書をひたすら読んでいくなかでみるみる元気に。ブログの面白さにハマり、いつしか出版したいという新しい目標が見つかりました。

  • 努力しても乗り越えられない壁があることを学ぶ
  • 正しい心の持ち方がすべてだと痛感する
  • 読書することで人生を豊かにすることができる
  • ブログを使うことで稼ぐこともできることを知る

出版&カウンセラー資格取得

平成19年頃(2007年頃)に出版ブランディング講座に参加。

最終プレゼンでなんと最高得点を叩き出し出版決定!

平成21年(2009年)『資格試験の合格技術(マガジンハウス)』で初出版。

その後『人気講師のすごい教え方(中経)』『毎日続く勉強法(日本実業出版社)』『100円SHOP文具術(ダイヤモンド社)』と合計4冊出版。

並行して、カウンセリングの勉強をスタート。

カウンセラー資格、メンタルヘルスマネジメント資格、心理学検定、キャリアカウンセラー資格を次々に取得しました。

  • 自分の失敗体験を書籍化することができた。失敗体験も捉え方を変えると武器になることを実体験
  • 資格の勉強をしたことが今の仕事に直結している(キャリアコンサルタント試験対策講座多田塾)

退職&フリーランス&(株)TADAJUKU

平成25年末(2013年末)大原簿記専門学校退職、フリーランスへ。

出版したときから退職することは考えていました。

おそらく、自分で何かやってみたかったし、組織の枠に縛られるのが嫌だった。副業も禁止の流れになりかけていて、そのことで我慢をしなければいけなくなったので。

人生後悔しないためにも、フリーランスでやることは躊躇はなかったですね。

平成28年(2016年)、株式会社TADAJUKUを設立。

対人支援プロ養成、複合型研究施設Shien.Labスタート。

退職してからこの5年は本当に恵まれてました。

昨年から妻が病気で、サポートしながら仕事を頑張っているのが現状です。

  • 自分の責任で、自分で決めてやれることに充実感を感じています
  • プレッシャーもありますが、何とかなるという考えが根底にありますね
  • どういう未来にしていくか。日々悩みながら楽しみながらデザインしていきます!

平成自分史を作成してみて

簡単ではありますが、振り返るとやっぱり人に恵まれてきました。

それと、その都度頑張ってこれたかなと。特に33歳以降については、正しい心の持ち方で努力できたことが成果に結びつきやすくなったのだと思います。

では、私にとっての『正しい心の持ち方』って何か。

人に喜んでもらえるために努力をする。誠意をもって対応する。それが成果にもつながる。

ただ、最近この考え方を持っていると疲れる部分もあると感じています。

それは「人に喜んでもらえるために」というのは、ある種「承認欲求」を充たすために頑張っていることになるからですね。

もちろん、それも必要だと思うのですが、どこか違うな・・・と感じている自分もいます。

その答えはまだわかっていません。

明日から「令和」になるので、宿題として向き合っていこうと思います。

とにかく健康で、楽しく、お金も稼げるように頑張っていきます!

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